2018年12月03日

豊後高田市の先人に「吉田光由」が名を連ねる

 一週間前から、請われてとある小学校で「スクールスタディサポーター(SSS)」という分かったようでよく分からない名称で学習支援の業務を行っている。

 そのうち授業もすることになるだろうが、今のところ個別に学習の支援をして回っている。 



 その小学校で、今日「総合」の授業中、子どもたちが学習に使っている副読本『伝えたい!豊後高田の先人たち』の目次を見ていたら「吉田光由」の名前が出てきた。
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 彼の紹介は、今日の学習内容ではなかったのが、どのような紹介がされているか気になったので、急いで読んでみた。



 「吉田光由」というのはいったいどういう人かというと、知る人ぞ知る江戸時代の「和算」の大家だ。

 彼の著した算数の入門書『塵劫記』は、大変な人気で、江戸時代のベストセラーとなり、当時の多くの学者(関孝和や貝原益軒など)にも影響を与えただけでなく、明治時代の教科書の手本になったとも言われている。



 その大数学者である彼が、なぜ「豊後高田市の先人たち」の中に名前を連ねているのかというと、副読本には次のように書かれていた。

 「旅の途中、通りかかった豊後高田市の北に位置する「香々地」の「夷谷の耶馬」の風景が大変気に入り、そこに「稽古庵」という庵を建て、子どもたちを集めて数学を教えた」とのこと。

 そのため、香々地には彼のお墓があり、今も地元の人たちによって大事にされているらしい。
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『伝えたい!豊後高田の先人たち』より

 彼のお墓は生まれ故郷の京都にもあるらしいが、光由の弟子の渡辺藤兵衛が、光由が去った後も香々地に残って数学を教えていたことから、光由の死後豊後高田にもお墓を建てるに至ったのだろう。
 

 
 その副読本には、彼の「油分け算」が紹介されていたが、市のホームぺージでも、それ以外に「薬師算」も紹介されている程の扱いだ。
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『伝えたい!豊後高田の先人たち』より


 明治時代まで読み継がれたという『塵劫記』には、そろばんによる乗除法の解説や、米・布の売買、貨幣の両替や利子の計算、土地の面積や器物の体積などなど、日常生活に必要な計算がたくさん盛り込まれていた。
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 『伝えたい!豊後高田の先人たち』より

 しかし、何よりも身近な彼の業績は、大きな数を「一・万・億・兆 ~ ~ ~ 恒河沙・阿僧祇・那由他・不可思議・無量大数」と命数法を著して使えるようにした点であろう(もちろん小さい数の表し方も記している)。




 機会があれば、香々地にあるという彼のお墓にも行ってみたいと思う。 
 
posted by よっちゃん at 20:26| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする