2018年12月25日

まだ知らない「庚申様」がこんなに近くにいらっしゃったなんて!

 「あっそうだ。この上に庚申様があるよ」とT氏が言い出した。
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 風は冷たいものの、いい天気に誘われて夕刻散歩に出かけ、偶然出会ったご近所さんのT氏と話していた時のことだ。

 T氏は、この辺りの名刹や歴史的遺物に詳しい。

 「案内しようか?」と言われたので、お願いしてついていくと、そこはウチから目と鼻の先の崖の上。



 崖に無理やり通り道をつけて上がれるようにしているため、登っていくのも一苦労。

 大袈裟な話ではなく、本当に坂道の一番急な部分の斜度は45度にものぼるだろう。

 気を付けないとずるずると足はすべるし、横につけられた手すりを持たないと次の一歩が踏み出せない。

 上がっている途中で、崖下を見下ろしてみると、田園風景が夕日に映えて何とも長閑な景色である。
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 なぜこんな急峻な崖の上に、庚申様を祀ったのだろう?

 今ではだれも登ってきそうもない崖の上に、古の人たちは上がって来て、庚申様を拝んでいたのだろうか?

 俄かには信じられないくらいの険しい山の上だ。

 
 険しい獣道のような細道をT氏について上がっていくと、崖の奥の林の中に庚申様は立っていた。
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 周りにはお墓だろうか?たくさんの石版のようなものが転がっている。

 庚申様の後ろに回って、作られた年代を確かめてみると、辛うじて「寛政」の文字が読み取れた。

 「寛政」と言えば、松平定信の「寛政の改革」で有名な元号で、西暦1800年頃第11代将軍徳川家斉の時代、200年以上も前のことだ。
 
 そんなに昔から立っている割には、林の奥にあるからか、あまり朽ちた感じはしない。

 
 
 T氏によると、三猿の下に鳥が2羽彫られているのは、珍しいとのこと。
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 「ここに庚申様があるのは、昔ここにも畑などが作られていたからじゃないか?」とT氏が言われた。

 今は、木々に覆われたこの崖の奥にも、畑が作られていたなんて俄かには信じられないが、200年以上も遡った時代には、ひょっとしたらそんなことになっていたのかもしれない。


 また、一つ伝統文化の奥深さを感じた「庚申様」参りであった。


 
posted by よっちゃん at 22:47| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする