2019年02月24日

院内の石橋群はバラエティーに富んでいて興味深い!(その1)

 豊後高田市のお隣にある宇佐市の山側に「院内町」という町が広がっている。

 そこをよく通るのだが、通る度に「石橋とゆずの里」というコピーが気になっていた。
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 今回、国道387号線を車を走らせながら注意して見ていると、国道からすぐの所に石橋がいくつも見えるのに気がついた。



 川にかかるその石橋たちは、背の高いものや低いものあり。

 大きくて迫力のある一重のものから、二連や三連のアーチを持つものもあったりして、なかなかバラエティーに富んでいる。

 
 
 珍しかったので、五つほどの石橋を写真に収めて帰って来た。

御沓橋.JPG御沓橋 荒瀬橋.JPG荒瀬橋 鷹岩橋3.JPG鷹岩橋 富士見橋.JPG富士見橋 分寺橋.JPG分寺橋 

上の「分寺橋」がよく見える場所は、公園として整備され、こんな説明書きも備えられていた
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 その説明書きによると、何と院内には75基もの石橋があり、それは全国でもトップクラスの多さだということが分かった。

 だいたい、九州には石橋がたくさんあって、全国で2000基ほどあるうちの90%(約1800基)が九州内に存在し、そのうちの4分の1ほど(約500基)が大分県にあるらしい。

 その500基中の75基が、この院内に集中しているということなので、やはり「石橋の里」と宣伝しているのも頷けるというものだ。

 75基ある石橋の中でも、アーチ構造を持つ石橋が64基にものぼるということなので、もっと他のも見てみたいという気になってくる。




 とにかく、たくさんの石が組み合わされたアーチ橋は、きれいで見事だ。

 熊本県上益城郡にある「通潤橋」を見に行ったことがあるが、その大きさと美しさは感嘆の声が出るほどだった。

 そして、重機も何もない時代に、人力だけでその橋を作った石工さんたちの苦労と、技術の高さを思わずにはいられなかった。
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土産物として売られていた「通潤橋」の模型




 古代ローマで著しく発展したアーチ形が、中国を経て日本に入って来たのは1600年代になってかららしいが、すぐれた技術というものはやはり世界中に広まっていくものなのだろう。

 アーチ構造の強さは、今でも古代ローマ人が造った建造物(ローマ水道やコロッセオなど)が残っていることから、すごい発明だったことが分かる。
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上から押してもびくともしないが、下から力を加えると簡単に崩れる

 試しに、上の写真の「通潤橋」の模型に大人一人乗っても、接着していないのに崩れない。
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 このアーチの石橋の技術は、長崎から徐々に熊本~大分と伝わっていき、通潤橋をはじめ、院内に残る石橋群も1800年代後半から1900年代にかけて(江戸時代末期~明治・大正期)よく造られたようである。


 昔の人たちが、工夫と苦労を重ねて完成させた石橋が今なお残り、人々の生活の役にたっているのはすばらしい。

 院内の石橋には、まだまだ見たいと思うものがいくつもある。(院内町最古の「打上橋」とそれに並行して架かかる「打上水路橋」・「石橋の貴婦人」と呼ばれている「鳥居橋」・アーチ構造ではない石の桁橋の「久地橋」など)


 機会があれば、またそれらの石橋を訪ねてみたい。



 
ラベル:石橋
posted by よっちゃん at 15:55| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする