この時期、この神社では次々と祭典が催され、地域の人々と密接な関係を築いている。
4月の第3金曜日は「春季大祭宵祭」に始まり、次の日は例祭「春日祭」が催される。
そのお祭りの中では「勧学祭」や神楽奉納が執り行われ、だんご汁やおにぎりのおせったいも行われる。
20日(土)にあったその「勧学祭」には、近隣の今年小学校に上がったばかりの一年生が招かれ、学業成就と健康を願って祝詞をあげてもらい、お守りが授けられたそうだ。

「大分合同新聞 4月23日朝刊より」
なぜ、ここで「勧学」を受けるのかというと、江戸末から明治中期にかけて、この近くに私塾涵養舎(かんようしゃ)と川面学問所(かわつらがくもんしょ)という教育施設があり、この神社が3000名にも及ぶその門下生を見守り続けてきたかららしい。
この春日神社は、大分県最古の春日社として地域の崇敬を集めており、明治39年に「神饌幣帛料供進神社」に、また大分県知事から「西国東郡草地村三笠山」と言う、奈良の御本社と同様の名称使用を許された由緒のある神社だとのこと。
「本殿と左右の摂社」
そして、平成23年10月28日には、ほとんどの建造物や参道・鳥居などがまとめて国の「登録有形文化財」に指定されたそうだ。
その文化財である拝殿には、歴史・信仰資料として重要と言われる「大潮汲み神事絵巻」(市有形文化財)が掛けられ、干ばつの際の雨乞いのために潮汲みの行列を行った様子が克明に描かれていた。
よく見ると、その行列の先頭と最後尾には国東で有名な鬼の踊り狂う様子が描かれ、ここでも鬼が重要な役割を果たしていたことが分かる。


また、神社の境内であるにもかかわらず、鐘を吊り下げて置く鐘楼が配置されているのも、とても珍しい。
さらに面白いのは、その鐘楼には鐘はおろか、鐘を釣り下げる鉤すら備えていないのである。
「未だ一度も鐘が吊るされたことのなり鐘楼」
正に神仏習合の地であることが、よく分かる事例である。
さらに、境内を回っていると、ちょうどリンゴの花が咲いていた。
このリンゴの木は、和りんごの原種とされるものだそうで、「新疆野苹果」(しんきょうやへいか)「黄太平」(きたいへい)という二つの種類が、神楽殿を挟んで植えてあった。
拝殿の左に位置する「神輿蔵」の中には、現在お祭りで使われるお神輿の奥に、昔使われていた古いお神輿も保存してあった。
煌びやかさは現在のもにはかなわないが、往時の輝きを彷彿とさせるつくりや重厚さがあった。
拝殿の賽銭箱の横には、近くに住まわれている宮司さんの奥さんの携帯番号を記した紙が置かれており、時間がある時はかなり丁寧なお話を聞かせて下さる。
豊後高田市を貫く国道213号線からは東側へ少し奥まった所に位置する春日神社だが、豊後高田市の市街地からは車で10分程度の近さなので、寄ってみるとその奥深さにいろいろと楽しめるはずだ。