2019年07月29日

美しさが際立つ、院内のアーチ橋「鳥居橋」

 このごろの楽しみの一つは、宇佐市院内に多数ある石橋を巡ることだ。

 今回紹介するのは、かなり宇佐市街地に近い所(院内でも北側の東九州自動車道の宇佐ICに近い)に位置する「鳥居橋」だ。
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 この橋は、すらりとしたその橋脚から「石橋の貴婦人」と呼ばれている有名な石橋で、国道387号線からすぐ見える所にあって、訪れる人も多いからだろう、夜間はライトアップがされているらしい。
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 この橋の特徴は、その橋脚の美しさもさることながら、何と言っても5連のアーチがリズミカルに並んでいることだろう。
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 大水の時は川の水がかなり増水するので、一本の橋脚を太くわけにもいかず、そのため途中を細い橋脚で何本も継いでいく必要があったのだろうか?

 谷が深いため、橋を向こう岸まで渡すには、高い橋脚を4本も設えるのは、大変な苦労があったと思う。
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 橋を渡ってみると、橋の平らさと言いといい欄干の造作といい、とても丁寧に作られていることも分かる。
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 現代のような重機や工具もろくにない時代(大正5年完成)に、よくぞ人の手でこれほどのものを拵えたものである。




 院内に65基あるアーチ橋の中でも、5連というのはこの「鳥居橋」だけである。

 石で作られた橋でありながら、重厚感よりも美しさがとても際立って見える。



 春に立ち寄った時は、川の岸辺の桜や菜の花に彩られて、うっとりとするような眺めであった。
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 75基もある石橋のうち、ライトアップされているのはほんの4基だけなので、そのうち夜の石橋も鑑賞してみようと思う。





 
ラベル:石橋
posted by よっちゃん at 21:28| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月24日

豊後高田に伊藤博文が暮らしていた・第2弾

 宇佐市橋津にある元造り酒屋を営んでいたM邸で、伊藤博文直筆の書を見せていただき、伝え聞いている伊藤博文の逸話等を伺ってから、自分なりに豊後高田での伊藤博文の消息を調べてみた。


 すると、昭和43年に発行された『豊後高田市明治百年』という本に、豊後高田での伊藤博文の記事を見つけた。
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 それによると、やはり伊藤博文は豊後高田の富豪九人のうちの一人である酒造業を営む「芥屋長左衛門」方で「酒の倉子」として三年間働いていたという話だ。

 語ったのは長左衛門の孫で、その時「伊藤博文は、読み書きが好きで、習字紙3〆を一度に買っていた」ということも同時に語られたようである。
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 この記事は、一昨日M氏に聞いた話としっかり合致する。

 
 自分の周りの地の人たちにこの話をしてみたが、みんな初耳だという。

 この話があまり知られていないのは、山口出身の伊藤博文がどういういきさつで、この海を隔てた国東半島に来たのかなどの謎が多すぎるせいかもしれない。


 
 

 この本の他の項を見ると、豊後高田はたくさんの船が寄港する有数の港であった記述も見られるので、廻船などを通じた海上交通が関係しているのかもしれない。
 
 地図で見ると、伊藤博文の出身地である山口県光市と国東半島は、周防灘を挟んで50km程の近さである。

 


 この話題を追いかけてみるのは、けっこう楽しそうだ。

 この話題に関する話をご存知の方がいらっしゃったら、情報をいただけるとうれしい。



 
posted by よっちゃん at 21:07| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月22日

豊後高田に伊藤博文が暮らしていたとは初耳だ!

 今日は午後から、小雨交じりの天気の中、「ウイスキーナイト@ムーンサン」で知り合ったYさんの町おこしのためのフィールドワークに同行させてもらった。


 きっかけは、伊藤博文が12歳から15歳くらいまでの3年程、豊後高田で丁稚奉公していた(何でも「芥屋」という造り酒屋らしい)という話を伺ったことに始まる。

 その伊藤博文が、なんと宇佐市のYさんが町おこしをしようと目論んでいる地域にある酒造りをしていたMさんのお宅(後に味噌・醤油を作る蔵へ移行したらしい)を頻繁に訪れていたというのだ。






 伊藤博文が農民出身で、あまり裕福ではなかったような話は聞いたことがあったが、豊後の国まで来て丁稚奉公を3年もしていたとは、初耳であった。

 そこで、今日そのMさんのお宅を訪ねてお話を伺うことになっているというので、ぜひとも同行させてもらうことにした。





 訪れたのは、Y氏とY氏のお仲間に学者先生や自分も含めて総勢8名(女性4名、男性4名)。


 
 宇佐駅からさほど遠くないお宅は所謂名家で、広いお屋敷に年代を感じさせる豪華な邸宅が建っていた。
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 そして、大きな構えでない方の玄関を入ると、畳敷きの廊下に、高い天井。
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 普請といい、建具といい、見ただけで贅を尽くしていることが伺える。
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 廊下沿いに並ぶ和室からは、池を中央に設えた大きな庭園が眺められ、思わず「すごい!」と声をあげるほどであった。
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 そして、さらには、そのお宅のいたるところに「~鑑定団」に出せるような数々のお宝が普通に置いてあり、掛けてあった。
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 お話をして下さったMさんは、御年88歳で、実に様々な興味深い話と、貴重な品々を見せて下さった。

 江戸時代から続く歴史のその中には、やはり伊藤博文直筆の書もあり、そのお宅との繋がりが深かったことが十分伺えた。
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 話を伺ううちに、博文が奉公していた先が造り酒屋だったので、宇佐のMさん宅にも何某かの取引で訪れていたことが分かってきた。

 そこでは、博文は「利助さん、利助さん」幼名で呼ばれていたらしい。

 偉くなってからも、このお宅を訪れているところをみると、きっとそうやって親しまれ可愛がられていたのだろう。





 今日伺ったM氏のお宅は、宇佐駅から宇佐神宮までの間に位置しており、町おこしのために整備したい遊歩道上の大きな目玉にしていきたいらしい。

 そのためには、早急にその邸宅やお屋敷に眠る貴重な品々を保存し、歴史的な価値あるものが散逸しないようにしないといけないということであった。

 また、M氏しか知らないお話も、M氏がご存命のうちに着々と文字にして残しておかなければということも言われていた。





 M氏のお宅をお暇した後、辺りをみんなで車に乗って回ったが、実に美しい田園風景であった。

 この遊歩道構想が現実のものになったなら、里山の自然や昔からの文化財も楽しめる面白いものになるだろうと思った。




 とても有意義で楽しいフィールドワークであった。

 誘って下さったYさんに感謝だ。

 
posted by よっちゃん at 23:15| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする