2019年07月22日

豊後高田に伊藤博文が暮らしていたとは初耳だ!

 今日は午後から、小雨交じりの天気の中、「ウイスキーナイト@ムーンサン」で知り合ったYさんの町おこしのためのフィールドワークに同行させてもらった。


 きっかけは、伊藤博文が12歳から15歳くらいまでの3年程、豊後高田で丁稚奉公していた(何でも「芥屋」という造り酒屋らしい)という話を伺ったことに始まる。

 その伊藤博文が、なんと宇佐市のYさんが町おこしをしようと目論んでいる地域にある酒造りをしていたMさんのお宅(後に味噌・醤油を作る蔵へ移行したらしい)を頻繁に訪れていたというのだ。






 伊藤博文が農民出身で、あまり裕福ではなかったような話は聞いたことがあったが、豊後の国まで来て丁稚奉公を3年もしていたとは、初耳であった。

 そこで、今日そのMさんのお宅を訪ねてお話を伺うことになっているというので、ぜひとも同行させてもらうことにした。





 訪れたのは、Y氏とY氏のお仲間に学者先生や自分も含めて総勢8名(女性4名、男性4名)。


 
 宇佐駅からさほど遠くないお宅は所謂名家で、広いお屋敷に年代を感じさせる豪華な邸宅が建っていた。
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 そして、大きな構えでない方の玄関を入ると、畳敷きの廊下に、高い天井。
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 普請といい、建具といい、見ただけで贅を尽くしていることが伺える。
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 廊下沿いに並ぶ和室からは、池を中央に設えた大きな庭園が眺められ、思わず「すごい!」と声をあげるほどであった。
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 そして、さらには、そのお宅のいたるところに「~鑑定団」に出せるような数々のお宝が普通に置いてあり、掛けてあった。
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 お話をして下さったMさんは、御年88歳で、実に様々な興味深い話と、貴重な品々を見せて下さった。

 江戸時代から続く歴史のその中には、やはり伊藤博文直筆の書もあり、そのお宅との繋がりが深かったことが十分伺えた。
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 話を伺ううちに、博文が奉公していた先が造り酒屋だったので、宇佐のMさん宅にも何某かの取引で訪れていたことが分かってきた。

 そこでは、博文は「利助さん、利助さん」幼名で呼ばれていたらしい。

 偉くなってからも、このお宅を訪れているところをみると、きっとそうやって親しまれ可愛がられていたのだろう。





 今日伺ったM氏のお宅は、宇佐駅から宇佐神宮までの間に位置しており、町おこしのために整備したい遊歩道上の大きな目玉にしていきたいらしい。

 そのためには、早急にその邸宅やお屋敷に眠る貴重な品々を保存し、歴史的な価値あるものが散逸しないようにしないといけないということであった。

 また、M氏しか知らないお話も、M氏がご存命のうちに着々と文字にして残しておかなければということも言われていた。





 M氏のお宅をお暇した後、辺りをみんなで車に乗って回ったが、実に美しい田園風景であった。

 この遊歩道構想が現実のものになったなら、里山の自然や昔からの文化財も楽しめる面白いものになるだろうと思った。




 とても有意義で楽しいフィールドワークであった。

 誘って下さったYさんに感謝だ。

 
posted by よっちゃん at 23:15| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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