2019年07月24日

豊後高田に伊藤博文が暮らしていた・第2弾

 宇佐市橋津にある元造り酒屋を営んでいたM邸で、伊藤博文直筆の書を見せていただき、伝え聞いている伊藤博文の逸話等を伺ってから、自分なりに豊後高田での伊藤博文の消息を調べてみた。


 すると、昭和43年に発行された『豊後高田市明治百年』という本に、豊後高田での伊藤博文の記事を見つけた。
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 それによると、やはり伊藤博文は豊後高田の富豪九人のうちの一人である酒造業を営む「芥屋長左衛門」方で「酒の倉子」として三年間働いていたという話だ。

 語ったのは長左衛門の孫で、その時「伊藤博文は、読み書きが好きで、習字紙3〆を一度に買っていた」ということも同時に語られたようである。
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 この記事は、一昨日M氏に聞いた話としっかり合致する。

 
 自分の周りの地の人たちにこの話をしてみたが、みんな初耳だという。

 この話があまり知られていないのは、山口出身の伊藤博文がどういういきさつで、この海を隔てた国東半島に来たのかなどの謎が多すぎるせいかもしれない。


 
 

 この本の他の項を見ると、豊後高田はたくさんの船が寄港する有数の港であった記述も見られるので、廻船などを通じた海上交通が関係しているのかもしれない。
 
 地図で見ると、伊藤博文の出身地である山口県光市と国東半島は、周防灘を挟んで50km程の近さである。

 


 この話題を追いかけてみるのは、けっこう楽しそうだ。

 この話題に関する話をご存知の方がいらっしゃったら、情報をいただけるとうれしい。



 
posted by よっちゃん at 21:07| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月22日

豊後高田に伊藤博文が暮らしていたとは初耳だ!

 今日は午後から、小雨交じりの天気の中、「ウイスキーナイト@ムーンサン」で知り合ったYさんの町おこしのためのフィールドワークに同行させてもらった。


 きっかけは、伊藤博文が12歳から15歳くらいまでの3年程、豊後高田で丁稚奉公していた(何でも「芥屋」という造り酒屋らしい)という話を伺ったことに始まる。

 その伊藤博文が、なんと宇佐市のYさんが町おこしをしようと目論んでいる地域にある酒造りをしていたMさんのお宅(後に味噌・醤油を作る蔵へ移行したらしい)を頻繁に訪れていたというのだ。






 伊藤博文が農民出身で、あまり裕福ではなかったような話は聞いたことがあったが、豊後の国まで来て丁稚奉公を3年もしていたとは、初耳であった。

 そこで、今日そのMさんのお宅を訪ねてお話を伺うことになっているというので、ぜひとも同行させてもらうことにした。





 訪れたのは、Y氏とY氏のお仲間に学者先生や自分も含めて総勢8名(女性4名、男性4名)。


 
 宇佐駅からさほど遠くないお宅は所謂名家で、広いお屋敷に年代を感じさせる豪華な邸宅が建っていた。
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 そして、大きな構えでない方の玄関を入ると、畳敷きの廊下に、高い天井。
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 普請といい、建具といい、見ただけで贅を尽くしていることが伺える。
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 廊下沿いに並ぶ和室からは、池を中央に設えた大きな庭園が眺められ、思わず「すごい!」と声をあげるほどであった。
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 そして、さらには、そのお宅のいたるところに「~鑑定団」に出せるような数々のお宝が普通に置いてあり、掛けてあった。
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 お話をして下さったMさんは、御年88歳で、実に様々な興味深い話と、貴重な品々を見せて下さった。

 江戸時代から続く歴史のその中には、やはり伊藤博文直筆の書もあり、そのお宅との繋がりが深かったことが十分伺えた。
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 話を伺ううちに、博文が奉公していた先が造り酒屋だったので、宇佐のMさん宅にも何某かの取引で訪れていたことが分かってきた。

 そこでは、博文は「利助さん、利助さん」幼名で呼ばれていたらしい。

 偉くなってからも、このお宅を訪れているところをみると、きっとそうやって親しまれ可愛がられていたのだろう。





 今日伺ったM氏のお宅は、宇佐駅から宇佐神宮までの間に位置しており、町おこしのために整備したい遊歩道上の大きな目玉にしていきたいらしい。

 そのためには、早急にその邸宅やお屋敷に眠る貴重な品々を保存し、歴史的な価値あるものが散逸しないようにしないといけないということであった。

 また、M氏しか知らないお話も、M氏がご存命のうちに着々と文字にして残しておかなければということも言われていた。





 M氏のお宅をお暇した後、辺りをみんなで車に乗って回ったが、実に美しい田園風景であった。

 この遊歩道構想が現実のものになったなら、里山の自然や昔からの文化財も楽しめる面白いものになるだろうと思った。




 とても有意義で楽しいフィールドワークであった。

 誘って下さったYさんに感謝だ。

 
posted by よっちゃん at 23:15| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月25日

「おせったい」をたくさん回って来た

 今日は、豊後高田市草地にある近広という地区の「おせったい」を主として回って来た。
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 「おせったい」とは、弘法大師信仰から生まれた風習・行事で、旧暦3月と7月の21日に大師の像をまつり、参拝に訪れる人はだれにでも菓子やモチ等を振舞い接待することをいう。

 この風習は大分県や山口県で見られるらしく、移住者の自分には初めての経験だ。



 「おせったい」を行っているウチは、目印に赤い旗や白い旗を立てて参拝者を待っていてくれる。

 大抵は、縁側に据えられた弘法大師様の像を庭先から拝ませてもらい、お賽銭をあげて、かわりに「おせったい菓子」を頂く。
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 自分も10軒近くを回り、袋いっぱいのお菓子を頂いて来た。


 
 その「おせったい菓子」として、昔から参拝者に振舞われてきた定番中の定番が「めがね菓子」だ。
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 「めがね菓子」とは、小麦粉、砂糖、水あめなどを練り合わせて焼いた素朴な焼き菓子で、眼鏡のように丸い輪の形にして焼き上げてあるため、この名がついている。

 地元では「おせったい菓子」と呼ばれ、この時期スーパーなどでも大袋に入ったものがたくさん積んで売られている。

 自分も初めて食べたが、噛むほどに甘みが感じられる素朴な味わいの菓子であった。





 この日は、小学校も始業時間を数時間繰り下げて、小学生もおせったいに参加できるように計らっている学校が少なくない。

 子どもたちは、大きな袋を持って、自転車や徒歩でおせったいをしてくれる家々を回り、大量のお菓子をゲットしていた。

 平日なので、おウチにおじいちゃんやおばあちゃん等がいるところは、車でたくさんの家々を回ってくることも可能だ。

 そういう子は、かなりたくさんのお菓子を手にすることになる。

 学校は半分しかないし、お菓子は手に入るし、子どもたちにとっては、実に夢のような日なのだ。




 
 本堂脇に巨大な弘法大師の像の立つ「椿光寺」等がある真玉地区には、毎年車が列をなして参拝者が訪れるそうだ。
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 そこで、地区以外からくる参拝者にも分かりやすいようにと、その地域にあるたくさんのおせったい場所を記した「真玉地区おせったいマップ」なるものも作られ配られていたもようだ。
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 当初、雨の予報が出ていたので、雨の中を回るのはおっくうだなと思っていたが、幸い雨も上がり気温もほどほどだったため、とても回りやすかった。

 訪れる先々で、実に気持ちの良い笑顔で歓迎していただいたので、来年も今度は別の地区を回ってみたい。

 



posted by よっちゃん at 22:36| Comment(0) | 伝統文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする